米国における字幕放送の歴史
石川准 関根千佳


米国における字幕放送の歴史

社会背景 障害児教育の背景 字幕関連技術の進展/企業の動き 聴覚障害者団体の活動 政府機関の動き・法整備
〜1950年代 大戦による帰還傷痍軍人の増加 障害別特殊校設立期

リハビリテーション法制定と関連条項の設立・修正期(1918-1973)
ベビーブーム 教育界全体の資源不足

1934 通信法制定/FCC設立
中南米移民の増加 障害児/者の施設収容

1958 CFD計画策定(教育省)
1960年代〜1970年代 カラーテレビの普及 全障害児の公教育獲得を求める運動 1962 連邦基金によるテレビ字幕研究の開始
1962 公共放送設備事業法

障害児教育の内容充実を求める運動





1965 CEASD、教育省よりCFD計画の運用委託 1965 初等中等教育法

1966 全米障害児問題諮問委員会設立

1966 初等中等教育法修正

統合教育の基盤整備 1970 VBIを利用した標準時データ送信可能性の調査開始(NBS)
1970 障害者教育法

1971 ナッシュビル会議にて字幕付きTVの実験放送(ABC) 1971 WGBH キャプション・センター設立/第1回全米聴覚障害者テレビ会議開催(ナッシュビル)
公民権運動 1972 初の字幕付き番組放映(PBS)/ギャローデット大学にてCC実験放送/NAB、PBSにCCの研究委託


1973 PBS設立/オープン字幕付きABCニュース放送開始/21番走査線を用いたCC実験放送成功(WETA)
1973 リハビリテーション法504条



1975 全障害児教育法

1976 PBSによるエンコーダー/デコーダー開発着手
1976 ライン21を国内CC通信用に指定(FCC)


1977 全公共放送番組にオープン字幕を付けることを要望(GLAD)

1979 21番走査線を使用する字幕エンコーダー製造(EEG) 1979 NCI、SHHH設立
1980年代 レーガン政権による504条規制緩和反対運動
1980 CC付きTV放映(ABC、NBC、PBS)/TVコマ-シャルへの字幕付加(IBM)



1981 ホームビデオへの字幕付加


統合教育の浸透 1982 リアルタイム字幕システム開発(TSI) 1982 アカデミー賞授賞式放映にリアルタイム字幕付加/RTC付きABCニュースのレギュラー放映の開始(NCI)
公民権運動と連動した各種差別撤廃運動の発展・ADAの基盤作り 個別の障害に応じた教育保障の模索 1984 ニヶ国語字幕放送(PBS)

1985 民間企業のテレビ字幕スポンサー登場(Kellog)



1989 字幕デコーダー用マイクロチップ開発
1988 ADA法案提出/障害者へのテクノロジー関連支援法(テック法)/スター・スクール・プロジェクト開始(教育省)
1990年代 テクノロジーの発展 統合教育からインクルージョンへ

1990 障害をもつアメリカ人法(ADA)/障害者教育法(IDEA)/テレビデコーダー法(TDCA)

教育現場へのテクノロジーの応用
1991 CFD計画の字幕フィルム選定・製作部門をNADに委託



1992 TVFA設立 1994 アメリカ教育: 目標2000法(アメリカ 2000)



1993 NATDC設立 1993 TDCA発効
国内経済の好調
1996 アトランタ五輪のリアルタイム字幕放送



1997 デジタル放送におけるCCデータ転送方式の定義(EIA-708)
1996 電気通信法




1997 IDEA修正




1998 支援技術法

出展元
文部科学省平成11−13年度科学研究費補助金 基盤研究(B)(2)研究成果報告書
 「アクセシビリティの 政治」に関する社会学・情報学的研究 第5章 米国に おける字幕放送の歴史(pp.104−137)


1. はじめに

2007年には、米国の放送にはすべて字幕が付くという。地域パレードなどのごくわずかな例外を除いて、放送メディアはあらゆる番組を、「誰もが楽しめる」ものとして提供しなくてはならない。しかし、そのことを、米国の放送業界は、それほど負担に思っているようには見えない。それは、字幕というものが、成り立ってきた経緯と、成果によるところが大きいのではないだろうか?

米国やその他の先進国においては、テレビ番組に字幕(クローズドキャプション)が付いているのはもはや常識である。もちろんそのことで、聴覚障害者は情報が保障される。またわれわれのような旅行者を始めとする、ESL(English for Second Language:英語を母国語にしていない人)にも英語を理解するのに必要なものだ。言語獲得中の子供の教育にも良い影響を及ぼす。一時的な負荷のかかる環境においても有益なことが多い。たとえば騒がしいスポーツバーでは字幕はいつもついている。また、ドラマの佳境で電話がかかってきたとき、テレビをずぐに字幕に切り換えて、電話で受け答えしながら目はしっかりドラマの筋を追う主婦もいると聞く。
字幕というものが、決して一握りの障害者のためだけではなく、その人々に情報を保障するということが万人にとって有益なのだと、理解されてきているのである。情報を誰もが受け取れる社会のあり方は、どのようにして成立してきたのか、このレポートでその一端でも見ることができれば幸いである。

2. アメリカにおけるクローズドキャプション技術

2-1. 字幕の仕組みを知るためのテレビの仕組み

アニメーションの原理は何枚もの絵を次々に入れ替えることで絵が動いているようにみせている。テレビの映像もこれと同じで、何枚もの静止画像をブラウン管に写しだし、動きのある映像を作り出している。

画像の描画はブラウン管の裏側から電子ビームを当てて行う。電子ビームは画面の左上から右に向かって水平に線を描き、これを画面の下まで画面を埋め尽くすように繰り返す。この電子ビームの描く線が集まって平面画像となる。
線の往復による描画を「走査」と言い、線のことを「走査線」と呼ぶ。一回の走査による画面を「フィールド」という。1回のフィールド走査で画面を描き、次に1回目の走査の間を埋めるように2回目の走査をして画面描画を行う。
この2つのフィールドをあわせて1フレームと呼び、2つのフィールドを交互に描画させる方法を「インターレース」(飛び越し走査)と呼ぶ。電子ビームは画面の左から右までの描画を行った後、すぐに前の走査線のやや左下へ戻る。また1フィールドの描画が終わった後は、次のフィールドの描画のスタート地点まで戻る。この間は映像信号を消去しておく。この消去されている間のことを帰線期間といい、前者をHBI(Horizontal Blanking Interval:水平帰線期間)、後者を VBI(Vertical Blanking Interval:垂直帰線期間) という。

このように電子ビームが画面を埋め尽くすように線を描いて画像を作り、これを急速に何回も繰り返すことでテレビの動きのある映像が作られている。

現在のカラーテレビの方式はNTSC、PAL、SECAM等の方式があるが、アメリカではNTSC方式を採用している。NTSCでは525本の走査線で1秒間に30フレーム(60フィールド)画像の描画を行っている。

2-2. クローズドキャプションの仕組み

NTSC方式ではVBIは525本ある走査線の内の前半の21本と定義されている。VBIは画像表示には使用されていない。1から21まである走査線は一部が画面を描くためのタイミングをとる情報として使われているが、残りは未使用となっている。この未使用の走査線の1本を利用してクローズドキャプションを放送している。
アメリカではFCC(Federal Communication Commission:連邦通信委員会)が1976年にVBIの21番目の走査線(ライン21)をクローズドキャプション専用の領域として確保した。
走査線1本あたりにアメリカでは288bit、日本では296bitのデータが伝送できる。この領域にデジタルデータとして字幕データをのせて放送をする。伝送データの量は各国によって異なるため、外国の文字放送機器が別の国で利用できないことがある。

2-3. 字幕放送を作るまで

現在アメリカでは1週間に200時間以上の字幕番組が放映されており、ゴールデンタイムの番組についてはほぼ100%字幕がつけられている。
字幕放送制作には大きく分けて2つの手法がある。
あらかじめ録画された番組に対して字幕を付け、字幕付きのビデオを用意してから放送する方式をオフライン字幕といい、これに対して放送時に字幕データをつける方式をオンライン 字幕と言う。

2-3-1. オフライン 字幕

オフライン 字幕では字幕のついていない番組のビデオテープと、これに対しての字幕データ(あらかじめ制作し、PCや磁気ディスクなどに用意しておく)を用意する。これを字幕制作用エンコーダにかける。エンコーダーはビデオのテレビ信号のライン21上に字幕データをのせる処理をする。エンコーディングの際には字幕が実際の音声にあわせてタイミング良く表示されるように、ビデオを見ながら字幕データを送り込む必要がある。


2-3-2. オンライン 字幕

テレビ番組のうち、ニュースやスポーツやイベントの実況放送についてはオンライン字幕が用いられる。オンライン字幕は大きく分けてリアルタイム字幕と、ライブディスプレイ字幕がある。

1)ライブディスプレイ字幕

あらかじめニュースキャスター等が読み上げる文章などを字幕データとして用意しておき、生放送時にタイミングを合わせて送信する方式。生放送の音声に合わせた字幕付加が可能だが、生放送特有のアドリブ等に対応出来ない。

2)リアルタイム字幕

生放送放送時にほぼ同じに字幕を制作し送信する方式。この方式は放送される音声を聞きながら字幕データを作成するため2、3秒のタイムラグが発生するが、実況中の内容に即した字幕制作を行うことができる。 リアルタイム字幕は元々は法廷での速記の技術として使われてきたステノタイプライターによる速記技術を字幕に応用するようになったものである。このため字幕製作にあたって法廷速記者を字幕製作者として多く採用している。
ステノタイプライターはある特定のキーの組み合わせを同時に行い、頻度の高い単語を1ストロークで入力出来るようになっている。この方式により、1文字づつ入力する通常のタイプライターを利用するより効率のよい入力が可能となる。
ステノタイプライターを使う字幕製作者は1分間に平均250語の文字を入力する能力が要求される。また幅広い語彙と同音異義語に対しての判断力が要求され、ステノタイプ字幕の製作者となるには熟練した技術が必要となる。また一人が長時間のリアルタイム字幕作成にあたるのは非常にハードワークとなる為、一人の字幕製作者が連続して作業を行う時間は平均15分程度になる。1時間のニュース番組のリアルタイム字幕の制作には少なくとも4人以上の字幕製作者が必要となる為、人的コストが大きい。
リアルタイム字幕の普及は単なる字幕率の向上にとどまらない重要な意味を持つ。ニュース番組などの生放送では、時に災害や事件等の報道が行われる。これらの緊急性を要する情報が聴覚障害者、その他の字幕利用者に提供される意味は大きい。

リアルタイム字幕は1982年にNCI(National Captioning Institute)によって開発された。1988年にWGBHのキャプションセンターが日曜の朝の60分のニュース番組をリアルタイム字幕付きで放送した。この技術を応用し、ニュース放送やスポーツ実況へを字幕化し、放送電波に乗せている。

2-4. 字幕放送の受信

字幕の表示には字幕デコーダが必要である。
デコーダはテレビ放送の信号にのせられている字幕データを画面上に表示する装置である。デコーダには据え置き型(set-top-box)と内蔵型(built-in)があるが、アメリカでは1990年のTVデコーダ法の制定により全ての13インチ以上のテレビにはデコーダを組み込むように規定されている。2000年までにはアメリカの家庭には少なくとも1台のデコーダ内蔵型のテレビが普及すると予想される。

字幕は基本的に画面の下部1/3に黒いバックグラウンドに白い文字で3行から4行表示される。 オフライン 字幕では字幕の行は表示が終わると(時間が経過すると)そのまま消えて次の内容が表示される。これがポップオン(pop-on) またはペイントオン(paint-on) 方式である。
これに対し、オンライン 字幕では表示が終わった(時間が経過した)行は上方向にスクロールし、次の行が表示される。これをRoll-Up 方式という。

pop-onやpaint-on方式では文字の表示されているエリアを画面上のどこへでも自由に動かすことができる。roll-up方式では垂直方向へのみ動かすことができる。

2-5. 字幕技術の進歩

1962年に連邦の基金でテレビ字幕の実現可能性等の研究が開始された。1970年にはNBS(National Bureau of Standards:アメリカ連邦標準局)がテレビ放送信号の一部に字幕データを付加する可能性を示唆している。
1971年にテネシーで開催された全米難聴者テレビ会議では字幕についての2つの技術が発表された。ひとつはHBIの手法、もうひとつはVBIの手法である。前者は調整不良のテレビにおいて表示がなされてしまうことから除外され, NBSによって時報のために研究された手法であったVBIが、より適切な手法として研究がすすめられた。
1972年1月、NAB(National Association of Broadcasters: 全米放送協会)はクローズドキャプションは技術的に実現可能であると判断し、同月PBS(Public Broadcasting System:公共放送局)に実現を前提とした研究を委託した。
2月にはNBSとABCはギャローデッド大学で通常のテレビ放送に字幕をつけるデモンストレーションを行った。
その後VBIの手法において、ライン1は画像データの転送に支障をきたすことからライン21が適していること、低価格のデコーダ開発が必要であるというPBS報告をNABは受けた。
1975年PBSのテストの結果、ライン21をクローズドキャプションのために固定的に使用することをFCC(Federal Communication Commission:連邦通信委員会)に申請し、1976年にこれが認められた。この認可を受けてPBSの技術者たちによりエンコーダとデコーダの開発がさらに進められていった。
こうした技術開発の一方で字幕放送への協力を民法テレビ局に対しても呼びかけるために、テレビ字幕放送を推進する非営利組織としてNCI(National Captioning Institute)が設立された。

アメリカ3大ネットワークのうちABC,NBC,およびPBS ( CBSが,1982年に加わる)への週15番組のクローズドキャプション制作が委託され、NCIは1980年代に活動を開始し、1980年3月16日、初のテレビ字幕放送が始まった。また1982年にはリアルタイム字幕の技術も開発された。
1980年代当初デコーダの売れ行きは低迷した。そこには価格の問題、店頭にデコーダが少ないということ、外付けデコーダの取り付けが困難であること、デコーダ設置は聴覚障害の証となるため、これを表面にだしたくない気持ちから聴覚障害者自身が設置をためらうという事情、多くの聴覚障害者はクローズドキャプションの有用性に気づかない健聴者の子どもとして生まれていること、などから、デコーダの販売数はあまり伸びることがなかった。しかし、1989年には初めての字幕デコード用のマイクロチップが開発されデコーダの内蔵化が技術的に可能になったこともあり、1980年代後半にはADA制定への動きと機を同じくしてデコーダ内臓テレビを求める動きがはじまった。こうして1990年にテレビデコーダ回路法が制定され、米国内で販売される13 インチ以上のテレビにデコーダを内蔵することを定めた。また、FCC規格外のテレビジョン放送受信機の製造、組立及び輸入を禁止した。
1993年のFCCのテレビデコーダー法の発行により、クローズドキャプションの表示がに様々な手法が使われるようになった。それまで字幕は画面の上部または下部1/3の領域に固定されていたが、これを好きなところに移動させることができるようになった。
ライン21のうち従来はフィールド1のみ字幕に利用してきたが、FCCはフィールド2についても利用可能としたため、クローズドキャプションに利用できる領域が増えた。このフィールド2のデータ領域を使って、スタンダードキャプション(Standard Caption) と(easy-reading caption) を選択したり、多国語字幕放送(英語、スペイン語)、拡張データサービスなどが利用できるようになっている。
またテレビデコーダー法では字幕表示についての新しい表現が利用されるようになる。
字幕の色、ペイントオンスタイル、特殊文字や、透過背景(字幕表示エリアのバックグラウンドを半透明にすること)などはこのときから利用されるようになった。

2-6. デジタル放送での字幕

従来のテレビはアナログ電波を利用した放送方式だったが、90年代後半に入ると、テレビのデジタル放送の試験が開始され、2000年にはデジタル放送が本格的に開始された。デジタル放送では通常の放送の他にデータ放送と呼ばれる様々なサービスが行われる。字幕放送はこれらの一つとして提供される。

放送のデジタル化に向けてアメリカではデジタル放送対応の字幕放送の標準化づくりに取り組んできた。
1997年にEIA(電子工業会)-708によってデジタル放送におけるクローズドキャプションのデータ転送方式が定義された。デジタル放送では画像転送方式にMPEG2という画像圧縮方式が使われる。この画像データの一部の"Picture User Data Extention"と呼ばれる領域を字幕放送専用データとして確保する事が規定された。


デジタル放送になると、データの転送量が格段に増大する。従来のライン21の放送では1本の走査線につき16bit(1byte文字を2文字)のレートで文字データが送信されていた。(実際の走査線のデータ転送量はこれよりも多い)。1秒間に30回×2フィールドの走査により、一秒間のデータ転送速度は960bps(各フィールドで480bps)だった。EIA-708が規定するデジタル放送方式では字幕放送のデータ転送に9600bpsのデータ転送が可能となる。これにより字幕放送以外にプログラムマップテーブル(番組表)、キャプションチャンネルサービスディレクトリ等の、サービスが提供できることになる。


参考資料 3. 各テレビ局の字幕番組への取り組み

技術開発や法整備が進められる中、各テレビ局においてはどのようにクローズドキャプション番組の制作に取り組んできたのか。これには次のような要因が考えられる。

3-1. 字幕技術開発現場としての立場

アメリカでは字幕技術の開発はテレビ局が中心になって行われてきた。1972年のギャローデット大学における字幕実験の後NAB(National Association of Broadcasters:全米放送協会)が字幕技術の可能性についての報告を行い、これを受けた連邦政府が字幕伝送技術に対しての助成を行っている。この助成に基づきNABは1973年に設立されたPBS※1(Public Broadcasting Service: 公共放送サービス)にクローズドキャプションの開発研究を委託した。

PBSは1975年のFCC(Federal Communication Commission:全米通信委員会)による走査線の21本目の字幕利用の取り決めを受け、エンコーダーとデコーダの開発をさらに進めた。
PBSで技術的な進歩が進む一方、クローズドキャプション放送を行うテレビ番組制作や、これを見るためのデコーダーを普及させる必要がでてきた。民間の放送局やメーカに対して字幕制作やデコーダ技術の開発と協力を得るために1979年に設立されたのがNCI(National Caption Institute)である。

3-2. 教育庁による基金の投入

一方、教育庁は字幕番組制作や字幕スポンサー協力企業に対しての基金を提供してきた。この基金がテレビ局とスポンサー会社、デコーダーメーカー等の企業間協力を推進し、字幕普及率の上昇につながっている。この企業間協力の結果、1989年には民法番組のプライムタイムの番組ではほぼ100%、PBSのプライムタイムの番組ではほとんどにクローズドキャプションがつけられた。さらに民法放送はクローズドキャプションの教育的効果を全国の教育関係者に宣伝する努力をおこなってきた。

80年代後半には教育庁は各地方局に対しても同様に基金を設け、字幕普及に取り組んでいる。およそ17のプロジェクトに対して基金が設けられ、さらに地方ニュースに対しての自前のクローズドキャプション制作を行うよう委員会が活動している。しかし地方局におけるニュースは一部をのぞいて字幕普及率が低い。大きな聴覚障害者団体が活動している大都市においては字幕付きニュースが制作される傾向にある。

3-3. 字幕制作費用を拠出するスポンサーの存在

教育庁による基金は依然として字幕テレビ番組制作の大きな資金源となっているが、1980年に初めてIBMがクローズドキャプション付きのCMを放映して以来、広告スポンサーによる協力も不可欠となっている。企業が字幕番組のスポンサーとなるには、次のようなケースがある。 3-4. 障害者に限定しないマーケットの設定

米国で字幕放送が増加した背景には、字幕番組を提供している公共及び民間企業が、字幕付き番組の視聴者として障害者だけに範囲を設定せず、障害者を含む一般の視聴者をマーケットとしてとらえている一面がある。アメリカは非英語圏からの移民が多い国家であり、これらの人々も字幕放送視聴者のターゲットとなりうる。またADAをはじめとする各種法律の制定により、テレビ局側が障害者を取り上げたテレビ番組を制作したり、障害者を対象としたコマーシャルが増加した。これによりアメリカ人の障害者に対する意識が変化し、一般社会の字幕に対しての認識が高まっていった。

3-4-1. カレイドスコープ社の事例

カレイドスコープ社は福祉専門の番組制作を行っているテレビ局である。同社は1993年のADAの成立時に設立された。同社ではこの法律を福祉、障害者に関する情報ビジネスの好機ととらえていた。カレイドスコープ社の番組の内容は障害者向け専門放送及び一般社会むけの障害理解を視点とした内容になっている。つまり番組提供の視点を障害者に限らない一般社会に向けている。カレイドスコープ社の番組制作の方針はアメリカの障害者に対しての意識の変化の影響なしには考えられない。
同社は福祉専門放送局であり、またクローズドキャプションではなくオープンキャプション(常に表示されている字幕)の放送形態をとっているため、クローズドキャプションの普及とは領域が異なるが、社会背景および企業のマーケット設定の考えはクローズドキャプションにおいても同じ状況だと言える。

3-4-2. デコーダ内蔵テレビの影響

マーケット拡大のもう一つの要因として、1990年のTVデコーダ法の影響がある。1989年に字幕デコーダ用のマイクロチップが開発され、これを受けて翌年のTVデコーダ法では13インチ以上の全てのテレビに字幕デコーダを内蔵することを義務づけた。この法律により障害者に限定しない一般国民が字幕番組の視聴対象となった。各企業は字幕制作を行う放送局のスポンサーとなり、またテレビメーカー側もデコーダ内蔵型テレビが有効であることを示すため字幕番組の拡大を進めていった。

3-5. 日本のテレビ局の取り組み

日本でも米国と同様に走査線の21本目をつかった字幕放送の全国ネットかが認可され、字幕放送の普及が促された。郵政省は地上波、BSともに2007年頃には全番組の40%の字幕放送化を進める方針を打ち出している。97年の放送法の改正では字幕放送の全国ネット化を可能にするとともに、国内放送の字幕番組をテレビ放送業者の努力義務とすると規定している。これに伴い行政サイドからも字幕番組の拡大促進のための助成措置や、助成金、字幕番組制作や技術開発に対しての補助金が計上されている。

しかし現状の民法における字幕放送の比率は数%である。原因としては字幕放送は放送局にとって社会貢献にすぎず、収益性には貢献しないという認識がある。
字幕番組の収益性を増加させるには次のような施策が考えられる。

1)一番組あたりの字幕の制作コストを下げること。
現在字幕制作装置は一台あたり数百万円しており、大量には導入しづらい環境である。
低コスト化のためには日本語環境での字幕制作の技術の向上とともに、パソコン一台で文字放送統一フォーマットまで制作できるような装置コストの削減が不可欠となる。またパソコン環境による字幕制作技術は将来のデジタル放送での字幕放送に対応した中間フォーマットで保存できることも要求されてくるだろう。

2)字幕放送の認知度を高め、スポンサー収益をあげること
字幕制作の資金確保にスポンサー収益が必要となる。字幕放送を行うことで得られる視聴者層をリサーチし、この層をターゲットとしたスポンサー収益をあげることが必要である。併せて字幕付き放送であることを宣伝し、認知度を高めなければねらった収益効果を上げることはできない。

NHKではニュース番組において音声認識を利用したリアルタイム字幕の試験放送を2000年から実施している。また各局でも字幕制作のための投資や技術開発を行っている。

参考資料

Webページ リーフレット 雑誌 ※ PBS(Public Broadcast Service:公共放送サービス) PBSはアメリカの公共放送テレビ局のネットワークである。公共放送と言う点では日本のNHKと似ているが、NHKが日本で一つの公共放送TVであるのに対し、アメリカでは各地に存在する公共放送局が存在し、これらの放送局をつなぐ組織としてPBSが存在している。

4. 米国におけるクローズド・キャプションに関する法制度について

4-1. 米国の法制度

米国におけるクローズド・キャプションに関する法制度をみるまえに、簡単に米国の法制度を概括しておく。米国は判例法主義を採用しているので、ある事項に関する米国における法制度をみていく上では、判例での扱いをみることもまた重要である。また、米国の司法制度および議会制定法は連邦および州の双方とも階層構造をもっていることも留意する必要がある。

米国の議会制定法は、連邦法と州法に分かれる。州は連邦憲法によって認められた国民の権利を奪うことはできないが、連邦憲法によって認められた権利以外の権利を州憲法によって州民に与えることができる。また、州の主権免責が認められている場合もある。さらに地方自治体によっても法律が定められる。また、各行政機関には規則制定権が与えられているため、行政機関による法的効果をもつ規則制定や裁決も行われている。

米国の司法制度は連邦および州の双方とも階層構造をもっている。通常訴訟は事実審からはじまり、上訴は通常中間控訴裁判所に対して行われる。さらにそこからの上訴は最終審裁判所に対して行われる。各裁判所の管轄権は、地域または訴訟の内容によって異なる。連邦裁判所組織においては、連邦地方裁判所が事実審裁判所であり、連邦控訴裁判所が中間控訴裁判所であり、連邦最高裁判所が最終審裁判所である。なお、公式に判例集が公開されているのは、連邦最高裁判所のみである。同様に、州裁判所組織においても、各州の事実審裁判所、各州の中間控訴裁判所、各州の最終審裁判所がある。

(以下の文中の「USC」は連邦法典集を示す。
また、以下の文中の「CFR」は連邦行政規則集を示す。
また、以下の文中の「P.L. aaa-bbb」は「第aaa回連邦議会により制定された公法bbb条」を示す。)


4-2. クローズド・キャプションの担当所轄とその準拠する法律

クローズド・キャプションに関する諸制度を現在管轄しているのはアメリカ合衆国政府機関・米連邦通信委員会(FCC)である。FCCは,コミュニケーション法(1934年)によって設立され、ラジオ,テレビ,電信電話,衛星,およびケーブルを介した国内外のコミュニケーションに関する規定を担い、その規定は50の州、コロンビア特別区、およびすべての米国領地におよぶ。FCCはクローズド・キャプションのみのための機関ではなく、すべてのコミュニケーションに関する機関である。FCCは聴覚障害者の情報保証に関する法律として挙げることのできる3つの法律をその活動のベースとしている。3つの法律とは、すなわち、1990年に成立したADA(American Disabilities Act:障害をもつアメリカ人法)、および、TDCA(Television Decoder Circuitry Act:テレビデコーダ法)、そして1996年に成立した電気通信法(Telecommunications Act)の3法である。ADAはクローズド・キャプションに関して「基本環境生成」の役割を、TDCAが「物理環境の整備」の役割を、電気通信法が「運用環境の整備」の役割を果たしたと考えられる。

また、これらの3法のほかにクローズド・キャプションに言及した連邦法としては、以下のようなクローズド・キャプションに関する言及を合衆国法典(USC)に若干ではあるが、みることができる。 さらに、州法では以下のような具体的な言及がみられる。 4-3. ADA

1990年に成立したADAは、障害をもつ人々の雇用、移動、公的諸権利の行使におけるすべての差別を禁止する法律である。ADA Chapter II(私的団体によって運営される公共施設およびサービス)は補助的技術が欠如することで企業や公共施設のサービスが障害者に対して差が出ることがないよう求め、クローズド・キャプションは聴覚障害者にとって情報をアクセシブルにする支援技術のひとつとして位置付けられたと理解される。「例えば、ホテルでは、聴覚障害者用通信機器あるいはTDD(Telecommunication Device for the Deaf)、視覚による火災・緊急警報シグナル、字幕表示装置内蔵のテレビを設置しなければならない。輸送サービス機関は視覚シグナルや放送でなく文字で時刻を表示することによってサービスを行わなければならない(アメリカ教育省特殊教育・リハビリテーションサービス局次官補による1991年第11回世界ろう者会議での講演)」。また、ADA Chapter IV「電気通信」には「第402条 公共サービス告知のクローズド・キャプション挿入 1934年の通信法第711条は、次のように読み替えて修正する。「第711条 公共サービス告知のクローズド・キャプション挿入連邦政府の機関または官庁が全部または一部制作するまたは資金援助するテレビジョンの公的サービスの告知は、その告知の音声内容のクローズド・キャプション挿入を含むものでなければならない。テレビ放送免許を持つ者は、(1)クローズド・キャプション挿入を含んでいない告知をクローズド・キャプション挿入で放映することを義務付けられないものとする;また、(2)免許を持つ者が当該の告知に含まれていたクローズド・キャプションを意図的に放映しなかった場合を除き、クローズド・キャプション挿入を放映しないでその告知を放送したことについて、責任を負わない。」とした。
こうしてADAによってクローズド・キャプションに関する基本環境が生成された。

さらに、ADAはまた異なる観点からもクローズド・キャプションに関する基本環境の生成の役割を担ったと考えられる。かつて障害者に関する立法のほとんどは、戦争によって障害をもった人々への社会復帰リハビリに主に焦点があてられていた。第2次世界大戦によって障害者の数は増加し、対象とする障害に精神的不調や戦争神経症も加わり、さらに囚人や貧困層もリハビリ事業の対象とされ、あくまでも人道主義・温情主義に基づく援助対象として障害者は認識された。しかし、ADAのベースとなった1973年のリハビリテーション法(Rehabilitation Act)504条では、「合衆国の障害者で、その障害の故に連邦の財政援助(フェデラルファンド)を受けて行われるいかなるプログラム、または活動への参加から除外され、それから得られる恩恵を拒否され、あるいは差別を受けることがあってはならない」ことを規定し、経済的・社会的に障害者が低い地位にあるのは、障害そのもののためではなく、社会的障壁や偏見のためであることを認め、障害者団体はこの制定を議会に働きかけ、連邦最高裁判所でも争い勝利を収めた。こうした1970年代の動きは障害の種類を超えて各団体が大同団結した全米障害市民連合(American Coalition of Citizens with Disabilities)によるものが大きく、このリーダーをつとめたフランク・ボウ(心理学、Dr.Frank Bow)は全ろうであった。また、同時期に連邦政府側にも、障害をもつ行政官の活躍が目立ち、保健教育福祉省(HEW)の聴覚障害担当のボイス・ウィリアム(Dr.Boyce Williams)自身も完全失聴者であった。さらに、1975年にIDEA (the Education for all Handicapped Children Act (P.L. 94-142):全障害児教育法)が最小限の制約のもとで教育を実現するために制定され、障害を持つ子どもに公的教育を保障した(詳細は「教育とクローズド・キャプション」を参照のこと)。504条の制定を機に障害者差別が差別として論じられ、障害者団体はさまざまな行動を起し、さまざまな法改正を実現した。そのなかでも1978年のリハビリテーション法改正法は"聴覚障害者のコミュニケーション法"と呼ばれ、既存の条項と併せて、通訳訓練に関する補助金(304条)、通訳派遣サービスと情報提供のためのセンター(305条)、通訳の最低基準の設立(315条)、通訳事業に関する州への補助(315条)、コミュニケーション障壁についての言及(502条)、有資格通訳者、適切な補助手段など(503条など)などが定められたが、クローズド・キャプションに関するものではなかった。また、障害者の社会生活に関する包括的な立法措置はなく、さらに障害者団体は力を結集させ他の公民権運動とも連携をとり、ADA制定へと動いた。そして、1964年市民的権利に関する法律に障害による差別を禁止する文言を追加させるADAをついに成立させたのである。リハビリテーション法改正からADA制定までの過程において、温情主義に基づく援助の対象としての障害者ではなく、経済的・社会的構造がより平等でアクセシブルなものとするために行動を起す障害者として大いに活躍する存在として障害者の意識が明確にされ、クローズド・キャプションを権利として求めるというスタンスを定着させたという意味でも、ADAの制定はクローズド・キャプションの「基本環境生成」の役割を担ったといえる。

4-4. TDCA

前にみたように、1990年ADAはクローズド・キャプションについての規定を設けた。そしてADA成立と同年テレビデコーダ法 (P.L.101-431,1993年発効)が米国内で販売される13inches以上のテレビにデコーダを内蔵することを定めた。これは、聴覚障害者に生活に必要な情報を提供するという役割以外にも、クローズド・キャプションは英語を母国語としない人々や高齢者、言葉を勉強中の子供たちにも有効であるという認識によるものである。また、TDCAではFCC規格外のテレビジョン放送受信機の製造、組立および輸入を禁止した。しかしながら、クローズド・キャプションが突然制度に登場したのではない。これに先駆けてクローズド・キャプションおよびデコーダの開発がなされ、その有用性が広く知れ渡り、また要求が高まったことがこれを基礎付けた。その概要は以下のとおりである。

1958年連邦議会で、ハリウッド映画が聴覚障害者のための字幕を無料提供する法案が通過した。これはオープン型字幕またはサブタイトルド字幕と呼ばれる手法で、すべての人に見える手法の字幕であった。しかしテレビで見えるものではなく、メールオーダーなどで個別利用のためのフィルム上で使用された。外国語翻訳を焼付けと同様の工程でこれらの字幕は制作されたが、字幕は翻訳とは異なり、「誰が」何を話しているのかということや、音響効果の説明も加味して制作された。この法案はCFD計画(聴覚障害者向け字幕付きフィルム提供計画:Captioned Films for the Deaf Program)を立法化したもので(P.L.. 85-905)、これに続いてCFD計画が展開されることとなるが、CFD計画については「クローズド・キャプションと教育」の章を参照されたい。

クローズド・キャプションについては、1962年にフェデラルファンドを受けてテレビクローズド・キャプションの実現可能性等の研究が開始され、1972年Department of Health, Education and Welfareの基金で聴覚障害者のためのテレビクローズド・キャプションの確立を目的としたキャプションセンターが設立され、同年にはフランス料理番組が初のテレビクローズド・キャプション番組として放映された。1973年キャプションセンターはニクソン大統領の就任演説録画にニュース字幕をつけ、公共放送で放映した。キャプションセンターはさらに多様なユーザーのためのマルチレベルな字幕制作にも着手した。1972年1月、NAB(National Association of Broadcasters:全米放送協会)はクローズド・キャプションは技術的に実現可能であると判断し、同月PBSに実現を前提とした研究を委託し、PBSよりライン21の使用(「技術とクローズド・キャプション」の章を参照のこと)および低価格のデコーダ開発の必要性が報告された。1973年から1975年の間に,PBS,およびWGBHは集中的にクローズド・キャプションの有用性を研究し、PBSは外付けデコーダが1台あたり250ドルで開発・販売が可能である(内蔵型は100ドル)と示し、ライン21をクローズド・キャプションのために固定的に使用することをFCCに申請し、1976年にこれが認められた。翌年、外付けデコーダが内臓型デコーダとともに開発に着手され、1970年代後半、技術的にクローズド・キャプションが実現可能となった一方で放映ネットが少数の視聴者のためのクローズド・キャプションを歓迎しない、という問題と、私企業であり競争会社であるPBSへの助成に反対の声もあがったため、米国政府はクローズド・キャプションのための非営利団体NCI(National Captioning Institute)をHEWの基金で設立した。NCIは1980年代に活動を開始したが、1980年代当初デコーダの売れ行きは低迷した。そこには価格の問題、店頭にデコーダが少ないということ、外付けデコーダの取り付けの困難であること、デコーダ設置は聴覚障害の証となるため、これを表面にだしたくない気持ちから聴覚障害者自身が設置をためらうという事情、多くの聴覚障害者はクローズド・キャプションの有用性に気づかない健聴者の子どもとして生まれていること、などから、デコーダの販売数はあまり伸びることがなかった。しかし、1980年代末にはADA制定への動きと機を同じくしてデコーダ内臓テレビを求める動きがはじまり、テレビデコーダ回路法が米国内で販売される13インチ以上のテレビにデコーダを内蔵することを定めた。また、FCC規格外のテレビジョン放送受信機の製造、組立および輸入を禁止した。

この制定により、1年あたり2000万台のテレビが販売されているので、今世紀末にはほぼ1家に1台のデコーダ内臓テレビが設置されることとなった。米国内には2200万人の聴覚障害者があり、以前よりもより簡単にクローズド・キャプションを利用することができることになった。TDCA調印後、米国電子工業会はテレビ製造業・字幕作成会社・その他の字幕関連事業の代表による小委員会を設けて技術的な基準づくりを行い、これがFCCに採用された。この小委員会には三菱、ソニー、東芝などの日本メーカーも名を連ねた。この基準によりより低コストで簡易な内臓デコーダによるクローズド・キャプションが実現された。まさにクローズド・キャプションの物理的環境の整備を担ったのがこの法律である。

4-5. 電気通信法

TDCA制定の2年後の1992年6月末、ケーブルテレビ各社のオペレータがクローズド・キャプションデータの変更や削除を行うことが禁止された(47CFR76.606)。さらにその1年後、ケーブルテレビ各社に加入者端末にデコーダで再生/表示が可能な形式でクローズド・キャプションデータを送信することを義務付けた(47CFR15.119)。それまでデータ圧縮のために削除されてきたクローズド・キャプションデータが「削除されない」ことが約束された。さらに1996年に制定された電気通信法は、新規に作成されるすべてのテレビ放送用ビデオプログラム(ニュースや映画などを含む)には、ビデオの提供者が100%クローズド・キャプションをつけることを義務付けた。また、通信機器の製造者に対しても、障害者がアクセス可能なもの、使い勝手がよいものを開発する義務が盛り込まれた(第255条および第713条)。これは放送や通信業界にさまざまな変革を迫るものであった。

また、電気通信法はFCCに法の執行上のさまざまな監視をゆだねることを明示した。FCCは電気通信法の成立以降、アクセシブルなテレビの普及状況を調べ、クローズド・キャプション放送を増やす規定を作ることにつとめ、さまざまな消費者やテレビ業界の意見を聞いた結果、1997年8月にFCCはクローズド・キャプションに関する最終報告を出した。1997年8月(1998年9月改訂)にFCCはクローズド・キャプションに関する最終報告を出し、新番組の25%を2000年の1月まで、50%を2002年の1月まで、75%を2004年の1月まで、95%を2006年の1月までにクローズド・キャプション付きにすることを義務付けた。また、これまでの番組も2008年の1月までにクローズド・キャプションをつけることとし、例外について詳細に規定した。
このように、電気通信法およびFCCにより、クローズド・キャプションの運用的環境の整備がなされ、今後のクローズド・キャプション放送の充実した展開が望まれることとなった。

4-6. その他の技術支援に関する法律

1988年に制定されたテック法(Technology-Related Assistance for Individuals with Disabilities Act:障害者へのテクノロジー関連支援法)が1994年に改正され、さらにこれを承継する形で、支援技術法(Assistive Technology Act)が1998年11月に成立し、支援技術の開発が連邦政府により強化された。支援技術法は、支援技術装置およびサービスの供給を通した、障害を持つ個人の生活の向上、コミュニティ等への参加と関与、障害のない者との交流、障害のない者と同等の機会の獲得の実現を目的とし、同法に基づき、NIDRR(National Institute on Disability and Rehabilitation Research:国立障害者リハビリテーション研究機構)が、全米の研究機関に体系的に研究開発予算を措置することとなった。クローズド・キャプション研究・開発は支援技術の開発の一環としてこれらの制度にも支えられることとなった。

4-7. 教育におけるクローズド・キャプションに関する法律

ろう社会から聴覚障害を持つ学生に対する教育の内容に疑問の声が出始め、これに対応するために1965年「全米聴覚障害者諮問委員会」を設置し、さらに翌年「全米障害児問題諮問委員会(the National Advisory Committee on Handicapped Children)」が設置され、障害児教育に関する施策等の提言を行うようになった。また、1965年に制定された初等中等教育法(P.L.88-10)では、マイノリティに対する教育政策の一環として障害児に対するプログラムに補助金をつけ、1966年に制定された初等中等教育修正法(P.L.89-750)では、障害児のみを対象とする教育プログラムの補助が開始された。
その後、米国における障害児教育行政の基本的な連邦法となる障害者教育法(Education of the Handicapped Act, P.L.91-230)が1970年に制定され、そのPartBだけを全面改正したIEDAが1975年に制定され、他の部分(PartAよりPartH)については、1983年障害者教育法改正法(P.L.98-199)および1986年障害者教育法改正法(P.L.99-457)によって改正され、1997年には障害をもつ子どもの親と本人の権利を保護する保護手続規定、基礎的学力の向上や親の教育への参与、学校への連邦資金の投入に関する改正がなされた。また、障害者教育法のもとにあるすべてのプログラムは、教育省特殊教育プログラム部(OSEP)を通して管理されている。


全障害児教育法の目的は、以下のとおりである。 法律での記載中に具体的にクローズド・キャプションに関する規定はないが、聴覚障害をもつ子どもの教育的ニーズ・特別に設けられた指導(特殊教育)から利益を得るため必要な付加的サービスのひとつとしてクローズド・キャプションを位置付けた。
また、実際に教育省特殊教育プログラム部(OSEP)はNCI、VITAC Corporation、WGBH、キャプションセンター等に対し、子ども向け番組、通信教育用番組を含む教育番組、映画、スポーツ番組、その他娯楽番組などのクローズド・キャプション制作、ニュースや公的インフォメーションのリアルタイムなクローズド・キャプション制作、および多国語によるクローズド・キャプション制作への助成を行っている。また、クローズド・キャプションに関与する団体のWEBにおける広報活動の維持費についても助成を行っている。

その他のクローズド・キャプションに関して触れている教育関連の法律は、以下のとおりである。 4-8. 結び

以上みてきたように、大きな法律から小さな規則まで、クローズド・キャプションに関する法制度は社会的な背景、技術の進歩、障害者による運動および連邦政府内での活動とともに充実の道を歩んできた。ゆえに、本章がクローズド・キャプションに関する法制度をみることを中心に置きながらも、社会運動・技術・教育などの流れをもあわせみる形となったのは、必然といえよう。しかし、慈愛から権利へという大きな流れの中で着実に根をはってきたクローズド・キャプションの法制度の進展を現時点からさかのぼることは、予測を超えて困難な作業であり、「いつ」「どこで」「どうして」「何を契機に」を明確に提示し得ない感も残り、多様な個々の要素が関連しあっているという漠たる真実が何よりも雄弁に物語るという圧倒感を感じながらこの章を結ぶこととなった。なお、障害者による運動に関する事項、クローズド・キャプションと教育に関する事項、クローズド・キャプション技術については、他章をさらに参照されたい。

参考資料

書籍 URL 5. 字幕と教育

本章では米国における字幕の発展と教育の関連について、障害児教育の変遷から教育省によって担われている字幕製作のための資金援助プログラム、字幕の教育効果などについて言及する。

5-1. 米国における(聴覚)障害児教育の変遷

5-1-1. 特殊教育学校の設立期(〜1950年代)

米国における最初のろう学校は1817年コネチカット州ハートフォードにフランス人のろうあ者(ロレン・クラーク)と健聴者の牧師(トマス・ホプキン・ギャローデット)によって設立されたギャローデット大学である。
以来、各地で聴覚障害児のみを集めた寄宿舎制のろう学校が設立され、多くの聴覚障害児たちはここで手話を習得し、「ろう社会」という独特の文化を育んでいった。このような寄宿制特殊学校は障害別に徐々に整備されていき、大半の障害児は教育から排除されているとはいえ、その数も設置数も増加傾向にあった。
ところが、1950年代に入ると、ベビーブームによる学齢期人口の急増と中南米地域からの移民(ヒスパニック)の増加に伴い、教室や教師の不足など教育全体での資源不足が問題となり、寄宿制の特殊学校は設置が追い付かない状況になった。学校から排除された多くの障害児は劣悪な環境の施設へと送られていった。寄宿制学校にしても施設にしても、その多くは家族の住む地域とは遠く離れており、「自分の家庭で子供を育てたい」という小さな願いが契機となって精神遅滞児の親たちが中心となった協会が各地に作られ、地域での教育サービスを要求する全米規模の運動に発展していった。

5-1-2. 地域での公教育を求めて(1960〜1970年代)

公民権運動のピーク期である1960〜1970年代はマイノリティの教育支援策が大きく推し進められた時期である。マイノリティによる学校を含む公共の場所での自由と平等を求める熱い闘いが繰り広げられる中、障害者側もマイノリティの一階層としての認識を持つようになり、それまでの特殊教育の内容に疑問の声が上がり始めた。
ろう社会からは1965年に設置された「全米聴覚障害者諮問委員会」のレポートにより、聴覚障害を持つ学生の学力レベルが低く、雇用に直結する高等教育の機会が限られているという厳然たる事実が報告された。このレポートで特に強調された点は、聴覚障害児のニーズに対応するための総合的な立法措置の必要性であった。
聴覚障害者の運動の流れに同調し、他の障害者グループも多くの民事訴訟を通して特殊教育の改革と地域での公教育の充実、すべての障害者の教育ニーズに応えることを連邦政府に対し求めるようになった。1965年に制定された初等中等教育法(P.L. 88-10)では、マイノリティに対する教育政策の一環として障害児に対するプログラムに連邦政府が補助金を出せることとなり、翌年の1966年には初等中等教育修正法(P.L. 89-750)が出され、障害児のみを対象とする教育プログラムの補助が開始された。このとき同時に「全米障害児問題諮問委員会(the National Advisory Committee on Handicapped Children)」が設置され、障害児教育に関する施策等の提言を行うようになった。
1970年には既存の法律が整理され、「障害者教育法(Education of the Handicapped Act)」として連邦政府における障害児教育の基本的な枠組みを定める単独法が成立した。この法律の適用をめぐる各地での裁判や上院・下院で行われていた、すべての障害児に教育を保証するための審議の結果として、最終的には「全障害児教育法(Education of Handicapped Act)」が1975年に発行し、すべての公立学校で障害児を受け入れなくてはならないという「統合教育」の基盤が出来上がったのである。この法律が成立する過程で注目すべき事柄は、すべての障害児に適切な公教育を保障することは「資金の消費というよりもむしろ投資であり、最重度の障害児でさえ教育を通じて依存性を軽減することができる。完全に依存した人が生涯施設で過ごすのを支えるのに、納税者は約25万ドルを負担している。機会を与えられれば、これらの人々は社会に依存している人ではなく、自立し、社会の生産的なメンバーになることができる」という「経済的見地」が盛り込まれていることである。

5-1-3. 統合からインクルージョンへ(1980年代〜1990年代)

「全障害児教育法」の成立によって、すべての障害児の地域における教育が保証されたわけだが、個別のニーズに対応するためには、障害の状況に応じた適切な補助機器(Assistive Device)やサービス(ノートテイカーや手話通訳者の派遣、学生サポート要員など)の提供、教室などのハード面の整備、早期教育プログラム、教員の養成プログラムなどが必要不可欠なものとして認識されるようになった。「統合教育」の実現可能性や障害児にとって通常学級で学ぶことの適否をめぐり様々な立場で論議が繰り返された結果、1990年に「障害者教育法(Individuals with Disabilities Education Act)」がインクルージョンを理念とする現在の障害児教育を支える要の法律として出された。この法律の骨子は「特別なサービスを必要とする子どもに対し、適切な援助・介助を与え、また、個別に計画されたカリキュラムを作成することによって、地域の学校の、通常の教育環境に措置すること」である。全米の教育委員会で検討したレポートでは「可能な限り最大限に、同年齢の子どもたちと同じ地域の学校の同じ学年の通常の学級で適切な学級内援助を受けること」とされている。従来の「統合教育」と「インクルージョン」の大きな相違点は、「統合教育は、まず子どもを障害のある子どもとない子どもに分け、しかる後に障害のある子を、ない子のメインストリームに合流させようとする二元論であるのに対し、インクルージョンは、子どもはひとりひとりユニークな存在であり、ひとりひとり異なっていることが当たり前であり、すばらしいことなのだという基本理念に立って、すべての子どもを包みこむ(inclusive)教育システムの中で、特別なニーズに応える教育を考えるという一元論に立っている」ことである。
この結果、現在ではろう学校の入学者は僅かなものとなり、聴覚障害を持つ多くの子供たちは健聴の子供と共に地域の学校に通っている。クラスに耳の聞こえない子供がいる場合、先生の口を読みやすくするために前列の席を提供するというような簡単なことから、手話通訳者の派遣、字幕付きビデオ教材、個別指導、言語療法(speech therapist)、通信機器などの複雑なものまで、あらゆるサービスが教育を受ける上での当然の権利として無償で提供されているのである。こうしたサービスは初等・中等教育の段階に留まらず、大学や大学院といった高等教育にまで浸透してきており、優秀な障害学生に政府や一般企業も卒業後の活躍の場を提供するまでに至っている。
冒頭に紹介したギャローデット大学は設立以来、アメリカ手話の研究・開発をはじめ、字幕やTDDなど、聴覚障害者にコミュニケーションを保証するための技術の発展に大きく貢献してきた。現在でも世界で唯一の視覚的なコミュニケーション環境を整備した聴覚障害者のための一般教養(liberal arts)大学であり、ロチェスター工科大学内に置かれた国立ろう工科大学(NTID)とともに、現代社会の急速に変化する国際市場で仕事をしていくための能力を備えた優秀な人材を輩出している。このような人材が産業界に大きな影響を与えたことは想像に難くなく、字幕の発展と浸透にも貢献してきたといえよう。

5-2. 字幕付きフィルム/ビデオ提供計画(CFD Program)

サイレント・ムービーが一世を風靡していた時代には、台詞や状況説明がスクリーンに文字として表示されることは当たり前のことで、聴覚障害者も健聴者と同様に映画を楽しんでいた。ところが、文字に替わって音声が使われるようになると、聴覚障害者は映画館において健聴者と同様に映画を楽しむことができなくなってしまった。
この流れに対抗すべく策定されたのが、1927年に初のトーキー映画が上映された30年後の1958年、米国の教育省が提唱した字幕付きフィルム/ビデオ提供計画(Captioned Films/Videos Program)であった。同年の議会ではCFD計画(聴覚障害者向け字幕付きフィルム提供計画 Captioned Films for the Deaf Program)を立法化した公法85-905が策定され、$78,000の予算で聴覚障害者団体にハリウッド映画の字幕バージョンを無料提供することを目的に運用が開始された。その後、何年間にもわたって、このような字幕付き16ミリフィルムが聴覚障害者が楽しめる唯一の映画となったのである。
やがて、教育関係者は手付かずのまま放置されている膨大な数の字幕付きのフィルムやその他の教育向けメディアを、聴覚障害を持つ生徒や学生が利用できる資源として活用できるのではないかと考え始めるようになった。上記の公法85−905は、字幕付きの教育メディアの調査、研修、製作、取得、配布を行うことを認め、それらのメディアを再生/保管するための機器類の調達を可能にするために数度にわたって改正された。
CFD計画の主体は1965年までは教育省が担当しており、貯められたフィルムは各地のろう学校に順番に貸し出された。この役割は、1965年に外部団体であるCEASD(Conference of Educational Administrators Serving the Deaf)に委託された。CEASDはユーザー登録システムの開発や、字幕付き教育フィルムの保管センターや一般フィルムの字幕付加研究所の設立に大きく関わった団体である。
やがてテレビが開発され、瞬く間に一般家庭に広まっていったが、聴覚障害者は字幕付きテレビ放送が登場するまでの20年もの間、テレビを健聴者と同様に楽しむことはできなかった。'70年代初頭にキャプション・センターが初めて字幕付きテレビの実験放送を行ったとき以来、提供されるすべてのテレビ放送を平等に楽しむ権利を求める聴覚障害者の闘いが始まったのである。
テレビとビデオデッキが家庭に浸透し、消費者が選択するメディアがフィルムからビデオカセットへと移行していく中で、「CFD計画」は「CFV(Captioned Films/Videos)計画」と名称が改められ、1983年にはModern Taking Pictures, Incに運用が任された。このときからCFVはフィルム/ビデオの選定と字幕製作を担当する部門と字幕付きフィルム/ビデオの配布を担当する部門とに分けられた。前者は、1991年にNAD(National Association of the Deaf)に委託されるようになった。
CFD計画が策定されたのは、大半の聴覚障害の子供が各州のろう学校で学んでおり、クローズドキャプションがまだ技術的に難しい時代であった。この頃はフィルムの保管センターが各地のろう学校に併設されており、この計画の対象者に効果的にサービスを提供することができた。80年代に入って、今までろう学校で学んでいた多くの子供たちが地域の普通学級に入り、健聴の子供と同じ先生から同じ教材を使った授業を受けるようになると、大半のフィルム保管センターの管理者は普通学級の先生や管理者もサービスの対象とする必要性に迫られるようになった。
1991年、教育省はIDEA(Individuals with Disabilities Act)の障害別個別教育メディアまたはCFVに関する規約を設けるための分析をCosmos Corporationに委託した。Cosmosによるリサーチの結果提出された勧告案は、Modern Taking Pictures, Incとの委託契約に盛り込まれ、フィルムやビデオの配布に加えてクローズドキャプションデコーダを配布する活動をサポートすることが要求された。
一方、フィルムやビデオの選定と字幕製作の管理を担当するNADは、字幕製作会社がCFV計画に適合するビデオを提供する際の基準としてCaption Keyを定め、形式やスタイルの統一を図った。NADは消費者グループに働きかけ、字幕製作会社の評価プロセスを導入し、字幕会社が積極的にCFVプロジェクトの適合企業となるようにしむけた。
CFVライブラリに登録されるタイトルの募集は毎年行われ、教師、メディアスペシャリスト、NADによって募集された消費者からなる選出委員会によって応募作品の検討と選出が行われる。選出委員会は、CFVライブラリに登録する候補として200〜300点の作品を教育省に推薦する。教育省はその中から最終的に登録する作品を選出して、ビデオ販売会社と版権交渉をして契約を結ぶ。NADはこれらの教育ビデオに字幕を付けるための下請け契約を結んでおり、これを認定されている字幕製作会社に依頼する。その際、選定されたビデオのプロデューサーに連絡を取り、認定されている字幕製作会社を使うように指示する役割は教育省が担う。字幕製作会社はCFVが作った基準に従って字幕を製作する。
当初、トーキーの登場により映画館から締め出された聴覚障害者のために生まれたCFV計画は、現在では350万ドルの予算が付けられて、教育ビデオおよび一般ビデオの選出、取得、字幕製作が行われ、これらを必要とする学生や教育関係者に配布されているのである。

5-3. 字幕の教育効果

字幕の本来の目的は、聴覚障害者の映像付き音声情報(映画やテレビ番組、ビデオなど)に対するアクセス権の保証であったが、字幕の推進活動においてはその優れた教育効果も大いに注目された。
聴覚に障害を持つ学生の教育に字幕付きテレビが有効であることは、数多くの調査で証明されてきたが、この10年間で健聴の子供や学習をする上で何らかの特別な配慮を必要とする子供(外国人や移民の子弟や学習障害児など)の教育にも有用であることがわかってきた。字幕付きのテレビをただ見ているだけで、読むことを学習し始めたばかりの子供の読み能力は著しく向上し、英語を勉強している外国人の語彙が増え、読み書きのできない成人の読書力が向上することが証明されたのである。
1週間の間で子供がテレビを視聴している時間は平均30時間である。1984年のNCIの研究で、健聴の子供がテレビを見るときに字幕をオンにしていた場合、語彙力や音読力が飛躍的に向上することが証明された。字幕はアニメやディズニーのビデオ、コメディなどにも付けられているため、子供たちは楽しみながら知らず知らずのうちにこのような能力を伸ばすことができるのである。
英語を母国語としない英語学習者や、そのような人々を対象とする教師も同様の結論に達している。字幕付きのテレビは読む能力や語彙力だけでなく、聞き取り力や語の理解力も向上させ、さらに、自らすすんで読もうとする積極性が生み出される。また、字幕を使って学習することにより、通常、書き言葉には現れない話し言葉特有の表現法やスピーチ・パターンを学ぶことができる。
最も難しいとされる学習障害児の特殊教育にも字幕が活用されている。字幕付きのテレビを利用することにより、知的障害を持つ子供はスムーズに授業を理解できるようになり、このことが自信や主体性を育てることにもつながっている。教室で字幕付きのビデオを見てディスカッションを行ったり、重要なキーワードを強調した字幕付きの資料を予め用意することによって、最大の教育効果が得られることがわかっており、多くの学習障害児のクラスでこの手法が利用されている。
テレビは現代人の生活に深く浸透しており、字幕が付加されることによって、文字に親しむ機会を与えるという意味でも重要な役割を担っている。現在、民間および公共テレビ放送網(ABC、CBS、NBC、FoxおよびPBS)によってプライムタイム(夜8時〜11時)に放映される番組には、一部の例外を除くすべてにクローズドキャプションが付けられている。大半のテレビ番組は放映から7日以内の教育目的での録画や放送が認められており、著作権による制限の適用は除外される。映画やドキュメンタリー、子供向け番組の多くはホーム・ビデオとして字幕付きで提供されている。教師にとって教材には事欠かないわけだが、教育ビデオで字幕が付いているものは少なく、その数は全タイトル中10%に満たないといわれている。
教師が字幕付きのビデオやテレビ番組を教材として利用しようとする場合の注意事項は以下の通りである。 ふつう文章よりもテレビのほうが喜んでもう一回見ようという気になるものである。
また、字幕を作るという作業も非常に高い教育的効果を持つ。字幕製作は企画、アイデアの統合、文章を画像と結びつける技術、作文、編集、仲間との協力など、学習に必要な様々な要素が盛り込まれている。字幕用の文章作成が通常の作文と根本的に違うのは、ビデオとコンピュータのディスプレイを並べて、ビデオ画面を見ながら文章をコンピュータに打ちこむという点である。ビデオを見ながら文章を作るため、通常の手法よりも表現豊かで記述的な文章が作られる。コンピュータを使うということも重要な要素である。紙と鉛筆を使って文章を書く場合と比べて、コンピュータを使ったほうが編集が楽だと感じる生徒は多い。ふつうの作文よりも字幕の宿題を出したほうが、使用される語数が多いということは多くの教師によって証言されている。字幕を作るためには、何を書くべきかを決め、頭の中を整理するために繰り返してビデオを見る必要がある。自分で作成した字幕を何度も読みなおすため、読むスピードがアップし、語法やスペルの間違いに気付きやすくなる。このように自ら字幕を作るという作業を通して読み書きの能力だけではなく、物事を筋道立てて考える力や協調性などを身に付けることができるのである。

5-4. 字幕を守るために

字幕は教育効果という点で聴覚障害者だけでなく健聴者や外国人、知的障害者にまで役立つツールであることが証明され、教育省の後押しや様々な字幕普及推進策を推し進めるための聴覚障害者団体の努力の結果、現在では多くのビデオやテレビ番組、映画などに字幕が付けられている。が、そのために製作側が相当のコストを負担していることは事実である。利益追求のために、わざわざ字幕付加のコストを負担しようとはしない製作者もいるし、教育的な意味がないという判断のもとに字幕が付けられなくなる番組もある。
聴覚障害者の団体は、長い歴史をかけてここまで普及した字幕を守るため、また、100%の字幕達成を目指してロビー活動や訴訟、字幕製作会社やテレビ局の褒賞といった活動だけではなく、個人でできる様々なアイデアを提案している。例えば、教師が教材として字幕付きビデオを探しやすくするために、パッケージに記載するマークを決め、これを目安にすることを推奨している。このマークが付いていないビデオを見かけた場合、販売会社に電話をかけ、字幕が付けられているがどうか確認することが提案されている。現場の教師が1本電話をかけるだけで、ビデオ販売会社に字幕を使う授業が行われること、学校で教材用のビデオを買うとしたら字幕が付いているかどうかが選定の際の重要な要素であることを知らしめることができるのである。また、NADのホームページには、議会に字幕を削除しないでくれと要求するための手紙のサンプルが公開されている。個人が今すぐできることが提案され、実際にそれを実行する人々の地道な努力が字幕を守り、普及の原動力となっているのである。

参考資料 6. 字幕の成立に関与した組織と人々

6-1. 字幕のユーザーとは誰か

かつて字幕は聴覚障害者だけのものだと考えられていた。しかし、現在、字幕は誰もが使うものになってきている。米国においては英語を学ぶ人すべてにとって、有益な教材だと考えられている。日本においても、字幕は騒がしい場所での視聴に役に立つ。聴覚障害をもつ子供にとっても、教育的効果は非常に高いと思われる。しかし漢字かな混じり文は日本語を母国語としない方には難しい一面もあるため、米国ほどメリットを受ける外国人は多くないかもしれない。 6-2. 代弁者の会

いくつかの消費者組織は字幕問題を彼らの使命と認識し、テレビやビデオ業界、州政府や地方議員に、その目的がテレビやビデオへの完全なアクセスであることを知らせるために団結した。地方では個人による草の根の代弁者たちも、非常に大きな役割を果たした。消費者の活動は、字幕の歴史に、大きな影響を与えている。 6-3. 草の根の運動

全米で、何十年にもわたって、消費者たちはよりアクセシブルな番組を求めて活動を続けてきた。教育省、放送局、字幕作成会社、全国版や地方版のニュース製作者に対し、手紙を書き、電話をかけて、より多くの字幕を求めてきたのである。彼らの努力は、プロデューサーや放送局や国家が、気付かないうちに差別している視聴者に対して、責任があるということを知らせることで報われるのである。
いくつか、民間の成功事例を紹介しよう。 このように見てくると、米国において市民運動レベルで息の長い、地道な活動が根づいてきたことがわかる。まずは聴覚障害者をとりまくその家族や周囲が代弁者となり、次第に当事者が主導権を握って自分たちが放送にアクセスできるよう字幕をつける運動を展開していった。議会に対するロビー活動、資金援助プログラムへの働きかけ、企業への陳情、世論喚起など、あらゆる手を打ったという感が強い。

字幕の年表には、政府や企業の動きしかでてはこないが、その裏には、幾百万の名もない市民たちの活動があったことがわかる。それもクレームや非難などの圧力をかけるのではなく、ユーザーの声を集め、組織化し、投書などによって聞こえないユーザーの存在を知らせ、その意見を実現可能な提言としてまとめあげていくノウハウが蓄積されていることに驚く。企業としても、そのようなユーザーの存在を無視することは不可能であり、より多くの字幕をつけるというインセンティブとして働くであろう。

字幕の成立には、このレポートの中で述べられているように、技術の進展、法律の整備、教育制度の支援など、さまざなま要因が必要である。しかし、それらの進展を支えるのは、やはり人間の意思である。グラハム・ベルが聴覚障害の母と妻のために電話を発明したように、あらゆる技術や社会制度は、それを変えたいと願う人々の思いの産物なのである。

参考資料

書籍 資料 Webサイト


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